LVマガジン「アンシャンテ」 お客様レポート(2)
手動運転装置を使って36年。セレナはすっかり生活の一部です。■東京都足立区 山崎道男さん(60歳)

39年前の事故の頚椎損傷により、車いす生活を余儀なくされた山崎道男さん。
現在は「日本車椅子バスケットボール連盟」の仕事に大忙し。
同様に車いす生活を送る奥様の秀子さんとともに、福祉車両は欠かせません。

21歳のときの事故

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 今から39年前の1968年4月25日、東名高速道路(東京―厚木間)が開通したまさにその日、21歳だった山崎道男さんは、愛車のバイクにまたがり、いち早くこの「日本の大動脈」のツーリングを楽しんでいた。

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山崎さんの自宅はバリアフリー化された都営住宅。車いすも自由に室内で動かせる

 ところが暗闇の中、目の前に飛び込んできたのは、玉突き事故の悲惨な光景。バイクを停め、安全確保のため中央分離帯に飛び移ろうとした山崎さんは、道路と分離帯の隙間から15メートル下の高架下に転落、したたかに首を打ちつけた。救急車で運ばれた山崎さんを待っていたのは、頚椎損傷との宣告。これが40年近くになる車いす生活の始まりだった。

「新聞記事にもなったこの事故をきっかけに、すべての高速道路の隙間には金網を付けるようになりました。いわば私は功労者(笑)」と話すその笑顔が語るように、山崎さんの半生には「明るく前向き」ということばがぴったりだ。

運転免許の取得

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お住まいの出入り口は引き戸、駐車場にもスロープが設置されており、生活しやすい環境だ

 事故当時、普通運転免許を持っていた山崎さんが、手動運転装置車を見たのは、リハビリのため入院していた群馬県の病院でのこと。「病院で友だちになった人のところへ、手動運転装置車を運転して見舞いに来た人がいたのです。さっそく乗せてもらいましたが、運転はそんなに難しそうじゃない。ぜったい私も手動運転装置車の免許を取ろうと思いました」

 幸運なことに、退院後、職業訓練のために通った国立身体障害センター(現在の国立身体障害者リハビリテーションセンター)には、免許取得のためのコースがあった。16歳のときに原付バイク、17歳で自動二輪、18歳で普通免許を取得していた山崎さんには、運転試験はお手のもの。なんなく免許を手に入れた。

 そしてもうひとつ、ここで山崎さんは生涯でもっとも大切な人と出会った。それが愛妻の秀子さん(61歳)だ。

通勤に必要となった手動運転装置車

 秀子さんは22歳のとき、自転車に乗っていて自動車と接触し腰椎を損傷、車いす生活となった。職業訓練のため、新潟から同所に入所したのは山崎さんの3か月後。年齢が近かった二人はそのうちことばを交わすようになる。そして山崎さんが退院し、タクシーの配車オペレーターの仕事を得たことをきっかけに結婚、三鷹市の都営住宅に居を構えた。

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リモコンスイッチでリフターを操作し、車内に乗り込む山崎さん

 そこで必要となったのが、手動運転装置車だ。会社のある東京港区三田まで毎日通勤しなければならない。当時は公共施設のバリアフリー化も進んでおらず、電車通勤はとても無理。そこでノークラッチの軽自動車を購入し、手動運転装置を取り付けた。

「この車には4年間乗りました。しかし、車いすバスケットボールの関係で、荷物をたくさん載せる車が必要になり、ライトバンを購入しました」

車いすバスケットボールとの出会い

 ここで、山崎さんと車いすバスケットボールの関係を記しておこう。36年前、場所は同じ国立身体障害センター。車いすでバスケットボールをやっているという話を聞き、山崎さんに持ち前の好奇心がわき起こる。「運動神経には自信がある。やってやろうじゃないか」

 ところが体育館をのぞいた山崎さんはびっくり。「車いすの動きがべらぼうに速い。とてもじゃないけど、出番はないと思いました」。しかし、「しゃべりには自信があった」山崎さん、いつしかマネージャーに就任していた。その結果、選手のユニフォームや試合会場で出たごみを運ぶため、ライトバンが必要となったのだ。

 一方、運転免許は持っていたものの、山崎さんの横に乗るばかりのペーパードライバーだった秀子さんだが、87年、初めて自分専用の手動運転装置を付けた軽自動車を購入。現在は3台目の軽自動車で、趣味の書道や絵画の教室に通っている。

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車いすから90度回転させた運転席に移動する

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山崎さんが乗っていた車いすは、後部座席を折り畳んだ場所に固定する

セレナアンシャンテ 助手席スライドアップシートを購入

 山崎さんが日産車と出会ったのは89年のこと。職場が恵比寿に変わった際、同じビルに日産ディーラーが入っていたことがきっかけだ。

「買い替えに際し、車内が広いワンボックスカーが欲しかったのですが、女房が『車高が高く助手席に乗りにくいので絶対にいや』と譲らず、このときはステーションワゴンのアベニールを購入しました」

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助手席への乗り込みは手馴れたもの。秀子さんは自力で助手席に乗り移る。秀子さんの車いすは折り畳んだ後、リフターを使い山崎さんが固定する

 しかし、ワンボックスカーへの思いは募る。加えて、山崎さんはその後、それまで12kg程度の重さだった車いすから約2倍の重さの電動アシスト付車いすを使用するようになった。「これですと、それまでのように運転席に乗り込んでから、車いすを抱えて助手席に置くことはできません」

 そこで、車両改造業を営む知人に相談、まずは秀子さんが乗りやすいよう、助手席が回転〜昇降するセレナアンシャンテ 助手席スライドアップシートを購入し、これを山崎さんが車いすのまま乗り込み、運転席に移動できるよう改造することとした。

 お二人が、セレナに乗り込む場面を再現してみよう。まずはリフターを使い、山崎さんは車いすで車内に乗り込む。次に運転席を後ろにスライド、90度回転させ乗り移る。そして車いすを固定。秀子さんは助手席側に車いすで移動し、リモコンスイッチで助手席を操作し助手席に乗り込む。車いすを山崎さんに渡し、同様に固定。そして山崎さんは秀子さんが助手席に座ったことを確認して、運転席を所定の位置に戻し、スタートとなるわけだ。

自身で運転し、全国を回ってみたい

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シートに設置されている操作スイッチでも助手席の回転・昇降の操作ができる

「日本車椅子バスケットボール連盟事業部長」の肩書きを持つ山崎さんは、昨年11月の購入以来、セレナアンシャンテ 助手席スライドアップシートを駆って、試合会場や打ち合わせ場所へと移動する。

「選手をはじめ車いすバスケットボールの関係者は、駐車スペースを確保でき、経済的に可能な人はほとんどすべての人が手動運転装置車に乗っています。まさにこうした車は必需品です。年に一度、全国大会が開催されます。その際には全国から300台もの手動運転装置車が、東京に集まりますが、その光景は圧巻です」

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セレナアンシャンテ 助手席スライドアップシートは、山崎道男さん・秀子さん夫妻の生活になくてはならない存在だ

 昨年、60歳の定年を迎えた山崎さんの夢は、車内に簡易ベッドと簡易トイレを装備した車で全国を回ること。「全国で年間150試合ほど車いすバスケットボールの試合があります。バスケの仲間も全国にいる。彼らを訪ねながら試合が見ることができたら、こんな幸せなことはありません」

 エネルギッシュな山崎さんのこと、きっといつの日か、全国各地で山崎さんの元気な姿を見かけることでしょう。